日本が平和を求めた足跡
第二次世界大戦が終結して70周年に当たるこの時、米国世界平和家庭連合会長のDr. Balcombが以下のメッセージを配信しました。
70年前の1945年8月15日、太平洋での戦争が終わりを迎え、戦勝国家である国民一人一人が、過去を振り返ってみる良い機会ではないかと思う。
もちろん当時は、中国、韓国、フィリピン、米国、英国その他の国が、安堵するひと時を迎えました。1937年中国本土で始まったこの総合戦争の終結に、首謀者たちを処刑しました。悲惨にも多くの国と国民が苦難を受けました。また、同じく悲惨にも侵略者は懲罰を受けることになった。そして、日本のみが、2つの原爆を投下をうけ、またほとんどの都市が、空襲で焼け野原と化した。
しかし、戦後70年の間、敗戦国の中で日本ほど、力強く、その悲惨さを乗り越えて平和を指向してきた国はなかった。
日本は、かつての日出る国としての勢いと同じようにその方向を修正するのに情熱的、力強く、潔かった。日本のように立ち直った敗戦国はなかった。日本は70年間、他国への奉仕、慈善、平和貢献のモデルとなって来た。
20世紀に米国に来た日本からの移民者は、経済、文化、人道主義におけるリーダーとして顕著である。この日本人の素晴らしい気質を、おそらく、アメリカの宗教界で、我が世界平和統一家庭連合のメンバー以上に理解しているものはいないだろう。
今この文章を書いている瞬間にも、家庭連合の長きにわたるメンバーである町田松男さん(65歳)がカンザス州北部のハイウェイを歩き続けている。町田さんは、サンフランシスコからワシントンD.C.に至る道のりの徒歩アメリカ横断の中間地点を通過したところだ。
町田さんは、自分の確信していることを宣言する目的で歩き続けている。それは、文鮮明師が不当に脱税で起訴され、冤罪を被り一年間刑務所に収監されたということ。また、もう一つの理由を持って、2800マイル、86日間の長旅を歩き続けている。それは、文鮮明師のビジョンは、かつての怨讐国家であった日本、韓国、アメリカが和解し合うものであることを世に知らしめるというものである。かつて世に広く知られた合同結婚式には、このような深い意味が含まれていた。
1970年から何千という日本人がアメリカ、イギリス、韓国、フィリピン人男女と結婚したのは、一つには世界平和を実現するためでもあった。このような平和のための結婚(交叉・交体結婚)は、故文鮮明師と夫人の奨励するものであった。当時は物議を醸したこの結婚は、その多くが今日に至るまで保たれ、今では、数万という子供たちや孫たちが生まれてきた。これらの日本人統一運動メンバーは、アメリカのみならず、数十に亘る国々で平和実現の著しい貢献をなしている。現地で、彼らは、教会建設、学校建設と言った重労働から公益的なビジネスに至るまでの活動をしてきている。私個人として知って尊敬している統一運動にかかわる日本人は、慈愛に満ちている人たちであるし、海外での日本統一運動メンバーの活動の記録がそれを物語っている。
きょうのこの2015年8月15日、悲しみを振りかえって見る日に、ひと時の時間、第二次世界大戦中起こった数えきれない残虐行為の犠牲になった人々のために黙祷を捧げよう。それと共に、この日に、敗戦しながらも、平和を勝ち取る道を真に世界に示し続けていきているアジアに位置するその市民たちを認めよう。